人工知能は萌えているか





2015年12月24日、 "MERYY CHRISTMAS!" の言葉と共に、ある興味深い「アーティスト」が、ウェブ上に公開された。

Chainerで顔イラストの自動生成」と題された記事には、その「アーティスト」へのリンクが張られており、誰もがその「アーティスト」にアクセスできる状態となっている。



DCGAN face generator

そう、これは厳密に言えば、「アーティスト」とはいえない。なぜならこれは、学習した画像データを元にした、コンピューターにより自動生成された「二次元(萌え絵)の顔イラスト」の自動生成だからである。

リンク先にアクセスしてまずやるべきことは、「20秒ほど待つこと」である。ロードに多少時間はかかるが、20秒後には、 96x96 の既に自動生成された1枚の画像と、その下に "draw!" "shuffle!" "reset!" の3種類のボタン、そしてさらにその下に "long hair" "twintails" などのたくさんの要素名とフェーダーが表示される(本記事執筆時)。

もし表示されている画像が気に入らないものであれば、"shuffle!" を押せば、別の画像が自動生成される。表示されている画像がある程度機にいるものであれば、今度は下のフェーダーを動かして、自分の好きなように画像を加工してみると良い("blue hair" のフェーダーを動かせば、当然髪が青くなる)。

Chainerで顔イラストの自動生成」には、このアルゴリズムについての解説がなされている。私はこの分野の専門ではないのだが、ざっと読む限り、この自動生成プログラムのやっていることは、「アーティスト」がやっていることに他ならないように思えるのだ。

どのような「アーティスト」も、ゼロから作品を制作するということは絶対にありえない。

赤ん坊が言葉を覚える際に(多くは)父母の言葉によるコミュニケーションという模倣するべき対象が必要。同じように、アーティストのセンス(感覚)を形作るためには、模倣するべき対象となる、自らの感性の方向性を定める「モノ」が必要となる。

それは多くの場合、自らが成長する環境の中に含まれている。特に、「より多くあるもの」「より特殊なもの」は、自然と頭の中に残り、アーティストのセンス(感覚)の方向性を定めていくのである。

この「学習」プロセスは、アートのみならず、あらゆる人間の知的能力の成長には不可欠なものである。そして、その集積と蓄積が文化や文明と呼ばれているのである。

DCGAN face generator」は、そういった学習プロセスと同じプロセスようなプロセスで学習を行い、そして、全く新しい画像を生成する。これはまさに、「アーティスト」の「作品制作」なのである。

生成される画像サイズは、まだ随分と小さい(そして、大半の画像はまだ「下手」だ)。実際のところ、まだ 96x96 しかない。しかし、これはアルゴリズムの変化と処理能力の向上により、どんどん大きくなっていくはずだ。

なお、2000年に発売されたカメラ付きケータイ「シャープ J-SH04」は、撮影・表示できる画像の画素数が 128×96 だったようだ。

それから16年。昨年、「iphone6で撮影」と表記された広告が駅などに掲示されていた。それも小さなものではなく、長辺が数メートルはあるような大きな広告である(iphone6 の画像サイズは 3264×2448 だという)。

ならば、この人工知能による二次元絵の自動生成はどうなるのか?人工知能は、現在「大木の芽」の状態だ。小さいからといって、馬鹿にできるようなものではないのである。

pixiv などの画像共有サイトには、毎日のように大量の二次元絵が投稿されている。しかしその大多数は、どこか似通った、オリジナリティの無い作品ばかりである(これは当たり前で、自己満足や趣味のレベルで描いているユーザーが大半だからである)。

私が同じような印象を持ったのは、数年前にコミPO! が登場した時だ。

「そうだよな……どうせ、同じようなものしか作らないのなら、わざわざ人間が自らやる必要はないよな……」

と。

今のところ、「DCGAN face generator」の弱点は、「画像が小さいこと」「下手な絵もあるということ」、そして何よりも、「自らの意志・欲求で作成することができない」というところだ。

このうち、「画像が小さいこと」「下手な絵もあるということ」は、学習対象と学習能力・処理能力の向上で解決はできるだろう。ならば、残った一つが、我々人間の進むべき道である、ということになるはずなのである。