立ち上がった、創るために。




2016年2月、1本の動画がyoutubeにアップロードされた。「2045」というタイトルのこの動画は、様々な意味で非常に興味深いものである。




動画は、ナノサイズレベルのコンピューターが社会に浸透し、様々な「モノ」を作り上げている「クレイトロニクス(Claytronics)」の世界を舞台にしたものである。

コンピューターの小型化が進み、ナノサイズレベルのコンピューターによって、様々な「モノ」が構成され、利用されている未来。国家によって管理・保護され、鉄壁のセキュリティを誇るはずのはずのシステムが、ハッキングされてしまった……。

そして、コンピューターのシステムによって結合していた全てのナノサイズコンピューターは、結合を解かれ、崩壊していく。

構築するのには膨大な時間と労力がかかったはずのものが、たった1つのシステムによって作り上げられていたという「脆弱さ」によって崩れ、爆発する。そして、それは我々人類にとっての「日常」でもあったのだ。

この動画のテーマは驚くべきものであるが、さらに驚くべきことは、この動画を制作したのが、たった一人の「中学3年生」であったということだ。

これは、私にとっては、あまりにも喜ばしいことだった。

若い。経験がない。そんなことは関係ない。イメージした物語をそれを造形化する手段がどこにでも転がっているということが、たった一人の中学生によって実証されたのだ。

これだけ環境が整っている時代においては、「創らないこと」の言い訳が効かないのだ!

この動画のアップロードと前後して、人工知能に関する話題が多く目についた。2015年あたりから、人工知能のあり方が新しいステージに突入し、飛躍的に性能が上がったようなのである。

2045年、人工知能が人間の集合知を超えると言われている。ここのところの立て続けに人工知能がプロの囲碁棋士に3連勝しているニュースところを見ると、この予想はあながち間違っているとは言いえないのかもしれない。

「崩れた過去は戻らない」「崩れた先に何があるかは分からない」

恐らく、人工知能は人間の集合知を超えるだろう。疲れを知らず、1日24時間365日、嬉々として学習を続けていくのだから。

人工知能は、「同一のシステムで全てが管理されること」の脆弱性を学んだ時、「他のシステム」の存在を許容することができるのだろうか。

侵略、戦争、支配……今のところ、我々人間の多くが、それを実現できていない。

人工知能が「他のシステム」の存在を許容することができた時。それが、我々人類が人工知能に完敗する時なのだ。……少なくとも、人類がこのままでいるのなら。

「でも、君達が未来を創るのだ」

「さぁ、立ち上がれ」