不自然の集積が自然を美しく彩った




ちょうど100年ほど前のカメラによる撮影技術の発達により、こと絵画において写実的に表現をすることの意味がかなり失われてしまった。

そして、その後数十年の間、アートの世界では「写実」を表現の中心とすることを止めていた。もちろん、全くやめてしまったわけではなく、「デッサン」という造形力を身につけるための観察・分析の手法として写実的な表現は残った。

つまり、写実的な表現は引退を余儀なくされていたのである。かつて第一線で活躍していたやり方は奥に退き、新しい造形表現のあり方(自分の内面を掘り下げることに端を発する様々な表現手法)を支える立場となったのである。

2010年にインターネット上へアップロードされた "The Third & The Seventh by Alex Roman HD" を見た時、私は「写実」の復権と、それがなぜ起こりうるのかということをなんとなく悟ることとなった。




私は今までに、何人もの美大受験生にこの動画を見せてきた。動画は既に今から5年前のものではあるが、何も予備知識なしにこの動画を見た美大受験生のほとんどは、この動画が実写(もしくは一部がCG)だと思い込んでずっと見ていた。

調べればすぐに判明するのだが、この動画は全てがCGで表現されたものである。しかも、このクオリティ、この長さのCGは、動画のタイトルの通り、アレックス・ローマンというたった一人の人物の手で作り上げられたものなのである。

ある受験生は、この動画を見た後、こう言った。

「自然がとっても美しい……」

もちろん、これはCGだ。自然ではない。この動画がフルCGであることを知り、その受験生は驚愕した。

そしてその時、私も内心とても驚いていた。なぜなら、人間の求めている「自然」の美しさが、結局は自然界にはありえない「秩序」という「不自然」の元に構築されたものなのではないかと考えてしまったからである。

この動画がアップロードされた2010年以降今までの5年間、私は美術の世界だけではなく、テクノロジーの変化の最先端にも常に目を向けるように心がけてきた。

そして2015年の現在、既に不自然の集積の中で自然を構築することができるようになっている。

それが最もわかりやすく体現されたのがゲームの世界だ。コンピューター・グラフィックの技術はどんどん向上し、少なくとも外面だけは、ほとんど実在の人間と変わらないようなビジュアルを作り出すことができるようになっている。

この数年、「ハイパーリアリズム(スーパーリアリズム)」の作品が非常に目につくようになってきているが、これは、ゲームの世界のCGのリアル化が、アートの世界にもたらした影響だと私は考えている。

商業的なゲーム制作の中で画面の中でのリアルがどんどん追及されていくうちに、「写実」の価値が見直されてきたのである。そうか、写実を追及することは、凄いことなんだ。写実が追及されることで、これだけの感動と楽しみが与えられるのだ、と。

そして、その傾向は、明らかに画面の中の2次元の世界から飛び出し、3次元の世界の中にも入り込んできている。

例えば、3Dプリンターではすでに様々な素材でのプリントアウトが可能になっており、「サイの角」までがプリントアウトされているのだ。人間の手で作り出された「不自然」の集積は、「自然」の方向性へ向かってどんどん進み続けているのである。

「サイの角」のプリントアウトは衝撃的ではあるが、知的な興味を満たす程度のものでしかない。しかし、IPS細胞やDNA操作はどうだろうか?それは良くも悪くも、不自然なやり方で自然を構築することができる技術なのである。

少なくとも前世紀の末までは、それは神話や聖書の中に表現されていた出来事だった。今はそれが、現実になりつつある。この The Third and The Seventh という映像作品は、たった一人の人間の手によって作り上げられた、この先の人類の行く先を暗示させる「不自然の集積が美しく彩った自然」なのである。